こんにちは、猫山田です。
さて、皆さんは誰かに自分を悪く言われる事を恐れていますか??
私はとても長い間、これを恐れて
誰にも私を悪く言わせないように
世間一般的にダメな私を隠して隠して…
人前でいい子ちゃんな私でいられるようにして生きてきました。
今現在は、潜在意識の世界にどっぷりで
世間一般的にダメな私を、私自身が受け入れられるように
日々、私自身と向き合って過ごしています。
そんな中、少し前にTwitterで見かけた投稿がとても良かったので
私のように人目を恐れていい子ちゃんでいる自分をそろそろ手放したい方にシェアしたいなぁと思います♪
Twitterで見かけたのは「レンタルなんもしない人」さんの投稿
たぶん悪口として「プライド高い」とよく言われるけどみんなそれを言われたくないんだな
悪口ってある意味で「私はこれを言われたら嫌です」という自己紹介になってます。
という投稿。
この文章にとても考えさせられました。
誰かから
自分を責められるようなこととか
自分を攻撃されるような言葉を言われるのが本当にとっても怖かったけど
故意に傷つけようとして言った言葉って
それを自分が言われたら傷つく言葉
自分が言われたくない言葉
なんですよね。
考えてみれば結構当たり前のことなんですけど
なんか盲点だったというか
こんな風に考えたことってなかったので
目からウロコ!…という感じです。
誰かから明らかに悪意のある言葉を向けられた時は
言われた側がその言葉を真摯に受け取って傷つく必要はなくて
言った側のその人自身の課題なんですね。
そして
自分が言われたら嫌な言葉を
自分自身が誰かにむけて言いたくなった時は
自分が自分にもあると認めたくない要素を
その誰かが見せてくれていたり…
自分が自分に許可できていないことを
その誰かは許可できていることへの嫉妬だったり…
本当に本当に自分の課題でしかないということ。
あとは、
言った側があくまで客観的事実を言っているだけなのに
言われた側が“攻撃された”と受け止めてしまう場合は
言われた側にも課題がある時かなぁと思う。
こんな風に捉えられるだけで
批判とか悪口への恐怖心ってかなり軽減されますよね✨
言われた側は
言った側の誰かに
「課題がありますよー」とお知らせする役割を果たすために
言った側の誰かにとって
少しイライラモヤモヤする存在として登場してあげただけのこと。
イライラモヤモヤして、わざわざ攻撃したくなるほどの課題を
言った側のその誰かが抱えているだけのこと。
そんな風に思えたら
「私自身はどこまでも自由に私らしくいるから
どうぞ勝手に好きになったり嫌いになったりしてね♡」
という最強メンタルで生きていけそうですよね♪
好きになられることも
嫌いになられることも
誰かが勝手に私を使って、自分自身を映し出して感じていることで
自分がどんな人なのかは本当は関係ないんですね。