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自分を愛するための大義名分探しはもうやめよう…と思った話。

こんにちは。猫山田です。

 

私は昨年(2022)の6月頃から、HAPPYちゃんのYouTubeの影響もあってTシャツのデザインを始めました。

※よかったらTシャツの記事も見てね!

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SUZURIという、デザインをアップロードするだけで受注生産でグッズを販売できるサイトがあり、そこで作っているのですが

自分でデザインした商品を実際に自分で着たいというのもあるし、ファッションを仕事にしたい気持ちは強いので

せっかくデザインしたTシャツをちゃんと売っていくために…と思って、Tシャツを実際に購入して、Instagramに着画をアップするということを始めたんですよね。

 

 

実際にInstagramを始めてみると、それは思っていた以上に楽しいものでした。

自分のデザインしたものが実際にこの現実世界に形になったという感動もあるけど

それ以上に自分のやりたいことをやっている満足感がありました。

 

その満足感っていうのは、自分でデザインした商品を形にするということだけじゃなくて…

 

私はもともとファッション系の写真をみるのが好きなんですよね。

この写真のコーデが可愛い!とかそういうのもあるし

この写真の世界観が好きだなーとか。

1枚の写真の中に自分の好きな世界観を詰め込んでいく、そしてその世界観の中に自分もいる…

⇧私がしたいのは自分で服をデザインしたいというよりも、多分こっちなんですよね。

 

で、その1枚の写真の中に自分が表現したい世界観のための服がこの世にないなら、それを自分で作りたいというのが私の願望。(もちろん単純に服が好きな気持ちも強いけど)

 

もう少し願望を欲望に忠実に言葉にするなら…

私は自分のお気に入りの世界観の中に、最高にお気に入りの私を登場させてあげたくて…

その私を思いっきり愛でて、世の中にも見せびらかしたい!

 

私って可愛いでしょ?と言いたい気持ちもあるけど

それよりは、私の世界観最高に素敵でしょ?というかんじかな。

 

で、Tシャツを売りたくてInstagramを始めて気がついたのは

「私って、“自分の世界観を表現して発信したい”を叶えるために、Tシャツデザインというのを今言い訳に使ってるんだな」

というところ。

 

何かもっともらしい理由や大義名分がなければ、“自分の世界観を表現して発信したい”を叶えてはいけないと思っていたことに気がついたんです。

 

なんとなくそれに気がついてから少し時間が経って…

最近は私の中の人がおしゃべりになっているからセルフトークが捗っているんですけど

 

私のこの“大義名分探し”は、Tシャツデザインだけでなく、ありとあらゆる場面でやっているのだなぁ〜と、ようやく全部キレイに繋がった感じがしています。

 

 

例えば

私はずっと自分責めが得意で、人の素敵なところを見つけると

「あの人の〇〇なところが素敵だなぁ、その〇〇なところがない私はダメだなぁ。私も〇〇を身につけなくちゃ!」

という具合に、人の素敵なところを真似しようとする。

 

素敵なところを真似しようとするまではいいと思うんだけど

そのプロセスで、今現時点でその〇〇な素敵さを持っていない自分に対して強烈に自己否定が発動します。

 

潜在意識や願望実現を学ぶようになって、⇧この自己否定が私が現実を拗らせている諸悪の根源で、自己否定さえやめればいいとだけ思っていたんですけど

自分で“大義名分探し”をずっとやっているんだなぁと思った時に

『あー、私って本当はすでに自分のことが大好きで、自分のことを大好きな私でいるための理由・大義名分(言い訳)探しをずーっとしてたんだなぁ。』

と…。

自己否定がやめられない理由さえもここで腑に落ちてしまったんです。

 

 

つまり…

私の中に本当は自己否定はないんです。

でも、「私が自分を大好きでいても大丈夫な世界」への許可を自分の外側に求めようとしているから

わざわざ自分の外側から自己否定の材料をかき集めてきているだけなのでは?

…ということなんです。笑

 

だから、自己否定をやめようとだけ思っても、なんかしっくりこないんです。

 

 

自分のことを大好きな私でいるための許可が、自分の外側の世界にあると思っているから

いつも世間一般の一般論という架空の敵を作り上げて、その世間一般の一般論からの攻撃を受けない理由をいつも探していたし

世間一般の一般論の攻撃を受けない完璧な私にならないと、私は自分のことを愛してはいけないと思っていたんです。

 

自己否定も、ダメな自分を探して直そうとするクセも、全部全部“私が自分自身を大好きになっても許される世界”を整えるためだったんです。

自己否定さえやめればいいと思っているのは雑でしたね。

 

でも、どんなに借金があっても、恋愛難民でも、部屋の片付けができなくても、甘いものが大好きで気を抜くとすぐに太ってしまう私でも、仕事もパッとしてなくてキラキラしてない私でも、過去の行いに人に言いづらいことがある私でも…

私が私自身を愛するのに、私以外の誰かの許可なんて必要ないんですよね。

どんなに一般的にダメなやつでも、どんなに誰かに蔑まれても、自分が自分のことを大好きになったって誰かに迷惑をかけるわけでもないんですよね。笑

 

「たとえ私がどんな人でも、私のことを大好きなのが私だ!」

私が本当に欲しかったのは、この自己愛を誰になんて言われようと堂々と貫ける私。

 

ここを自分で許可できないと、世間一般的に素敵な私にならないと恋愛もうまくいかない現実を作り続けてしまうんですよね。きっと。

 

 

私の欲の核は、私が私を制限なく愛すること。

どんな私でもいいから、なんの条件もなく、大義名分がなくても自分自身を大好きでいること。

 

私がやりたいと思ったことは、大義名分がなくてもやっていいし

私が不快だと思ったら、相手に非がなくても嫌いになってもいいし

私がやりたくないと思ったことは、誰かに肯定してもらえるような言い訳がなくたってやらないという選択肢を選んでもいい。

 

私は、私からの私自身に対する愛情をずっとちゃんと受け取って欲しいと思ってたんだなぁとも思う。

 

 

仕事や人間関係の中に不自由さを見つけて、もっと自由に生きたいとずっと思ってきたけど

不自由さの本当の原因は、私自身が大義名分を自分の外側に探しているだけだったんですよね。

 

自分の欲や湧き上がる感情にとことん自分勝手に許可をおろしていい。

どんなに仕事や人間関係を変えても、ここが変わらなかったら不自由を感じ続けるんですよね。

 

 

私はもっととことん、ナルシストな私で生きる!

私はもっととことん自分勝手に自分を愛して生きていく!

私はもう“大義名分”がなくても、素直に自分の欲しいものを望んで選んでいける!

 

私は好きに自由に生きていくから、そんな私を好きになるのも嫌いになるのもどうぞご自由に♡

 

このくらいの強さで今後は生きていきたいです。

 

 

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